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【中山素平】 さん

元・日本興業銀行頭取。
戦後の日本経済の立役者。別名、鞍馬天狗ともいわれる。

1997年に水屋敷を訪れて
「私も中学前まで、ココに居たんだヨ」とおっしゃってました
 
中山素平(Sohei Nakayama)1995年GLOCOM創設スピーチ

https://youtu.be/j0ma6JYCJdg?si=bKnoLemTM1GQc70y
2005年11月19日没 享年99歳
島原新聞(20051123付) 財界の鞍馬天狗 中山氏が死去
「ミスター再編成」元興銀頭取の中山素平氏が死去

      https://www.mizuyashiki.com/diary/2005/11/1123shima/
「勁草の人 中山素平」 高杉 良
2017年3月10日
「運を天に任すなんて-素描 中山素平-」 城山三郎
初版発行: 1997年5月30日
 
 
島原の町の目抜き通りにあるその屋敷は広く、敷地内には三、四ヶ所に泉があり、
豊かに湧き出る水は、道にまで溢れて、人々は履き物を脱いで横切った、という。
その水が、一帯の飲料水や生活用水として役立っていたからである。

先の対談の中で、宮崎康平は
「山野の表面をすっ飛んで行く水と、地下を潜って濾過される伏流水とは、
水の性質に非常に差がある」と言い、
「地下水があって畑を潤している」と、その効用を強調しているのも、
この種の水のイメージがあってのことであろう。

銀行の建物は、広い敷地の一画にあったが、
別の一画に、金三郎(素平の父)は当時では珍しい洋館を建て、
これが「水屋敷」の名で、いまも残っている。
“財界の鞍馬天狗”中山素平氏が語った「エネルギー危機の突破法」
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00434/030200003/
中山要右衛門さんの屋敷が…「しまばら水屋敷」なんデス
三好屋新田 
1837年、江戸時代後期、島原駅の海側の新田町を埋め立て開発した豪商の名は?
答:中山要右衛門/三好屋新田 

https://diary.mizuyashiki.com/2022/11/1111nagahama/
1797年、福岡太宰府天満宮に初めて珈琲豆を献上したのは…「中山要右衛門」さん

http://coffee.mizuyashiki.com/1997coffee-book/

水屋敷主人の日記